副院長の話~大学院編~
一般的に大学院というと修士課程と博士課程がありますが、医学部や歯学部は博士課程のみで4年間研究生活を送ります。
歯科医師としての仕事はある程度決まったことをずっとすると思っていたため人生の4年間ぐらい別のことをしてみようかなという気持ちで大学院へ進学しました。
一応受験をしましたが。。。
正直結果はイマイチで。。。
教授から頑張る気はあるの?と言われて、ハイ!頑張ります!で入れていただいたような感じでした。
医学研究科の整形外科学教室にお邪魔させていただき骨の研究をさせてもらい、アメリカの学会などにも連れて行ってもらうこともありましたし、遅くまで実験したり、整形外科の先生とも知り合いが増え楽しい時間でした。
そんな大学院2年目の3月に東日本大震災が起こりました。東京も激しく揺れて帰宅困難者がたくさんいて、テレビでは陸前高田が壊滅したというニュースが流れていました。
職員の方から「吉田先生家族と連絡がとれましたか?」と心配していただいたりしました。
他の人経由で両親の安否がわかっていたので少し安心していましたが、ニュースで見る地元の凄惨な様子に心は穏やかではありませんでした。
そんなこともありましたが、奨学金などももらい研究成果をまとめて論文を書き、審査してもらい学位をなんとか取得することができました。
研修歯科医から大学院まで6年間慶應義塾大学病院で過ごして、私は様々なことを学びました。今でもその学びは生きていて日々の臨床で実践しています。
- 高いホスピタリティの実践
- 口腔外科医であっても審美性を求める
- 勉強を継続する
- 痛みを訴える人の言葉を聴く
他にも私の血肉となり活きていることが多くあると思います。
いきなり、コメントしまして、申し訳ありません。吉田先生、お父様には、家の母がお世話になりました。
お元気ですか?大竹ハヤの娘の青木博子と申します。息子さんがついでらっしゃるのですね。震災で、心配していましたが、万里ちゃんに聞いて、ホッとしたのを覚えております。これからも、お元気でいて下さい。お父様お母様に宜しくお伝え下さい。